移民してから3年ほどで、自分たちの生活を確立した日本移民家族の中には、新しく自分たちの土地を購入してコーヒー農園を始める家族も増えてきました。
最初は出稼ぎ程度で帰国するつもりだった人たちも、勤勉な日本人が多かったこともあり、コーヒー農園での満期が過ぎて自分たちで開園して頑張る家族が増えて、やがて町になってゆきました。
1915年(大正4)にはコーヒー生産も日本人が増えていき、サンパウロ州で約400家族が開園し、ブラジルの国としての最大生産穀物として発展の原動力となっていきました。
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