北方警備は悲惨さを極め、一時撤退を余儀なくされます。
北方警備の再開をするのはその後半世紀後の1855年。再び蝦夷地に渡る事となった津軽藩士に幕府はコーヒー豆を支給します。
幕府がコーヒー豆を支給したのは、函館奉行の通達からだと言われています。 『和蘭コーヒー豆、寒気を防ぎ湿邪を払う・・・黒くなるまでよく煎り、細かくたらりとなるまで突き砕き、二さじほどを麻袋に入れ、熱い湯で番茶のように振り出す・・・』と効能や飲み方まで指南していたからです。
北海道・稚内の宗谷公園にある『津軽藩兵詰合の記念碑』がコーヒー豆をかたどっているのは、その史実を基づいて建てられたからです。 |